Dr.平野の医学コラム第7号

12.01.17 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

腎臓病だより №2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腎臓の働きのしくみ

 

腎臓の働きのしくみを簡単にいうと、血液をろ過する“糸球体しきゅうたい”と、

ろ過された血液成分の中で必要なものだけ吸収する“尿細管にょうさいかん”で成り

立っています。糸球体と尿細管は一つながりの構造で、これを“ネフロン”といい1

個の腎臓には100万個あります。毛細血管の塊である糸球体では、血液中の血球や

たん白質を除く成分はいったんろ過されます。糸球体につながる尿細管では、必要

な成分だけが吸収され血液に戻されます。その結果、不必要な成分だけが尿として

排泄されることになります。腎臓は尿を作るのが目的ではなく、ネフロンのろ過と

吸収の結果が尿の量であり成分になるのです。

腎動脈

腎臓は血液が多く流れている臓器です。腎臓の動脈には1分間に約1000cc

の血液が流れてきて、糸球体や尿細管に分布していきます。腎臓では、流れてきた

血液を糸球体でろ過したり尿細管で吸収したりして全身の体液の性状を常に一定に

保つのです。したがって、腎臓に流れていく血液量が減少しても腎臓の働きが低下

することになります。

糸球体

毛細血管が毛糸の球のように丸く集まったもので、腎臓に流れてきた血液を1分間

に約100ccろ過します。この毛細血管の構造はろ過膜としてうまく作られてお

り、赤血球やたん白質はろ過しません。それ以外の血液成分は、必要なものも不必

要なものも一緒に毛細血管の外の嚢(ふくろ)にろ過します。

尿細管

尿細管は糸球体からつながっているヘアピン状の細長い管ですが、糸球体に近い方

から近位尿細管、ヘンレループ、遠位尿細管の3つに区別されています。近位尿細

管では、糸球体でろ過されたものの中で、体に必要な成分のほとんどすべてが吸収

されます。ヘンレループはヘアピンの様に屈曲しており、尿を濃くしたり薄めたり

する働きをします。最後につらなる遠位尿細管では、血液のミネラル濃度に応じて

さらに吸収したり、逆に分泌して体液の最終チェックをし過不足ないように調整し

ます。

 

傍糸球体装置

糸球体の根元には特殊な構造をした細胞の塊があります。ここでは血圧を上げるホ

ルモンである“レニン”を分泌します。腎臓の働きが悪くなると“、レニン”の分泌量

が増えて高血圧の原因になります。

間質

糸球体や尿細管の周りは、主に線維でできた組織で被われています。明らかな場所

は解っていませんが、ここでは造血ホルモンのエリスロポエチンが作られたりビタ

ミンDが活性化されます。

腎杯、腎盂、尿管

遠位尿細管を通過した成分が尿となりますが、腎杯に流れて行き腎盂と呼ばれる腎

臓についている大きな尿の袋に集められます。さらに、それぞれの腎臓は長い尿の

流れる管である尿管を通過して、最後には膀胱にいったん尿が貯められます。

膀胱、尿道

膀胱にある程度の尿が溜まりますと、尿意を感じてトイレで尿道を通じて排尿する

ことになる。

 

 

腎臓の一口はなし

腎臓は24時間労働で、夜中でも寝ずに働いています。しかし、夜間に尿をたくさ

ん作ると、トイレにしょっちゅう立たなければならず安眠が妨害されます。それ

で、夜間は腎臓が尿を濃縮して尿量を減らすのです。だから、朝一番の尿は黄色の

色調が強く濃厚な尿で(早朝起床時尿といいます)、尿検査の尿として適していま

す。

 

                            倉敷北病院腎臓内科

                            平 野  宏

Dr.平野の医学コラム第6号

01.12.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

お知らせ

平成28年12月1日より腎臓内科外来が始まります。

診療日は火・水・木・金曜日の午前です。

 

腎臓病だより №1

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 腎臓は体の中の偉大な化学者です

かんじんかなめ(肝腎要)”の言葉とうり、腎臓は体のなかで重要な働きをしていますが、ふだんは認識されることの少ない臓器のように思います。腎臓が悪くなり、人工腎臓で生きていかなければならない人が増えています。そのような人は尿が少なくなったり、まったく出なくなったりします。“失って初めてわかる有りがたさ”の如く、このような状態になってはじめて腎臓の働きの偉大さを痛感するのです。毎日、何気なく食べ物や飲み物を口に出来るのは、実は腎臓が終日一生懸命働いているおかげなのです。体に必要な成分を蓄え、不必要な成分は外に出し、いつも差し引き0の状態にしてくれます。そのような腎臓は、具体的にはどのような仕事をしているのでしょうか。

◆ 腎臓は体内にできる老廃物を排泄します

 たん白質には、他の栄養素には含まれない窒素とリンを含んでいます。水素や炭素は、水や炭酸ガスとなって腎臓以外からも排泄できます。窒素やリンは腎臓から尿中に排泄されないと、体に蓄積されてしまうのです。肉や魚の動物性たん白質や、豆腐、納豆などの植物性たん白質を多量に食べた場合にも、腎臓が過剰に産生された窒素やリンを排泄して、体に蓄積されることはありません。食べ物の中に含まれる非栄養成分やお薬の多くも腎臓から排泄されます。

◆ 腎臓は体液のミネラルを調整します

 体重の60%程度は体液の重さです。この体液中には様々なミネラルがありますが、とくにナトリウム(塩分)やカリウムが多く含まれています。食事などで過剰に摂った塩分やカリウムなどのミネラルは腎臓が排泄してくれるし、不足するようであったら排泄量を減らして、体液のミネラル濃度は常に一定になるようにコントロールしてくれます。

 

◆ 腎臓は血液を弱アルカリ性に維持します

 血液は常に弱アルカリ性(pH7.4)に保たれています。たとえ酸性やアルカリ性の強い食品を食べても、腎臓が調整して血液は弱アルカリ性のままです。

◆ 腎臓からは造血ホルモンが分泌されます

 血液中には赤血球があり、この中のヘモグロビンは酸素を運搬する働きがあります。空気中の酸素濃度によっても、ヘモグロビンが増えたり減ったりします。腎臓から分泌されるエリスロポエチンという造血ホルモンが、ヘモグロビンの量を調節しているのです。

 ◆ 腎臓はビタミンDの働き調節します

 紫外線を浴びると皮膚でビタミンDが作られますが、このビタミンDは腎臓で作用を発揮しやすくなります。腎臓で活性化されたビタミンDは、食事で摂取したカルシウムを腸管から吸収する際に欠かせません。

 

◆ 腎臓は血圧を調節するホルモンを分泌します

 腎臓からはレニンと呼ばれる、血圧を上げるホルモンが分泌されています。血圧が下がった時には、このホルモンが分泌され血圧を回復させます。このホルモンが多く分泌されると高血圧の原因にもなります。

 

         腎臓の一口はなし

腎臓は両方の腰部に一個づつあり、大きさは握りこぶし大です。形がソラマメ状なことから、“豆”といわれています。腎臓は太い血管、細い血管、糸のような極細の血管など多数の血管の塊でできた臓器で、焼肉屋さんでも牛の“豆”はメニューに揃えていることは珍しいので、おそらく食べても美味しくないんでしょう。

倉敷北病院腎臓内科 平 野  宏

 

Dr.平野の医学コラム第5号

02.09.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

『最も強い者や賢い者が生き残るのではなく、唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である』

 

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『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である』。チャールズ・ダーウイ ンの有名な進化論に基づいた格言である。これは健康寿命までの“余命”を何年と宣告された高齢者にも言い当てられる。ますます家に閉じこもって、社会や自然の中での“適応”範囲を狭めていかないようにしたいものである。自分で何かを変える努力をしないと、世の中や自然現象は変わってくれない。余命においても、人のせいとか世の中のせいにしていると健康寿命の先が辛くなる。融通の利かない頑固でキレル老人、気温の適応範囲を狭めて熱中症で病院に通う老人、車スピードの速さに適応できなく交通事故に遭遇する老人、・・・加齢と共に体も心も世の中の便利さや人とのつながりに適応できなくなる。ダーウインの『進化の先は行き止まり』をもじって、『便利さや贅沢の先は行き止まり』なる格言を提案したい。「適応の幅」を広くもつ必要性のことである。暑さと寒さ、晴れの日と雨の日、粗食と美食、自動車と自転車と歩行、新幹線と鈍行列車、テレビとラジオ、デパートと百均店・・。「上を向いたらきりがない、下を向いたらあとがない」生き方と、「上を向いたら行き止まり、下を向いても行き止まり」の生き方の違い。例えば“美食三昧”の場合はどうであろうか。大学病院の医師時代は、数多くの製薬会社の夜の接待を受けていた。連夜、岡山市内の一流料亭で懐石料理三昧の美食づけ。高価な料理も毎晩となると飽きてくる。揚げたての天ぷらや新鮮お造りの料理を前にして、「何か美味しいものが食べたいな・・」と考え込んだものである。もうこれ以上美味しい食べ物が無くなるほど切ないことはない。上も下も行き止まりの思いであった。そのような状況でたどり着いた行き先は、「今食べたいものを、今自分で作って食べる」ことであった。これこそが一番贅沢な美食だと思うようになった。それ以来、料理教室通いと閉店前のスーパーでの衝動買いが日課になった。そして今では、スーパーで買う198円の昼弁当も旨いし、もちろん孫たちにご馳走してやる焼肉屋の厚切塩タンも同じように美味しいのである。

 

 

 

Dr.平野の医学コラム第4号

29.06.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

「自然死」、昔から“老衰”とか“大往生”と言われてきた

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人の死は「心臓死」であるが、ときには病院では心臓が動いているのに、いきなり「脳死」にしてしまう。最近

「自然死」という言葉をよく耳にする。「自然死」とは、平たく言えばほとんど医療を行わない死のことである。

でも見放したり、ほったらかしにするのではない。無益な延命治療をせずに、自然の過程(なりゆき)で死にゆく

人を温かく見守りながら最後を看取るのである。人体は60兆個の細胞からなる。その細胞の死には「アポトーシ

ス」と「ネクローシス」の二つがある。「アポトーシス」とは遺伝子で定められた細胞自身の“自殺”である。細胞

が委縮して痕を残さずに綺麗に消え去るのである。「ネクローシス」は病的な細胞の死で“他殺”である。死んだ痕

は炎症反応が生じて、様々な症状(苦痛を伴う)を引きおこす。各細胞は必要に応じてエネルギー(ミトコンドリ

アで生産するATP)を産生し、そして同量を消費する。60兆個の細胞が一日に産生する総ATP量は人体の体

積に匹敵するが、その日のうちにこれをすべて消費する(炭酸ガスと水だけを残す)。エネルギーを産生して消費

すること、これが細胞の“生きる(生命)”ことである。ATPの生産は“細胞内呼吸”といって、糖質などの栄養素

を酸素で燃やして産生される。だから呼吸で酸素供給が絶たれると細胞は即死(ネクローシス)であるし、栄養物

を体に取り入れないといずれ細胞は死んでしまう。だから絶えず呼吸をし、一日3回の食事が欠かせない。人は食

べなくなったら(食べられなくなったではない)死への準備態勢に入る(航空機の着陸態勢に似ている)。いよい

よ食物を口にしなくなると、死の最終態勢(最終着陸態勢)に入る。“心臓と肺(心肺)”を除く臓器・組織の細胞は

心臓が止まる前には仮死状態にあり、最後に心肺が停止すると穏やかな「ネクローシス」に至る。細胞の“ネンネン

コロリ”が人の「自然死」であり、昔から“老衰”とか“大往生”と言われてきた。死の準備態勢に入っているのに、経

管栄養や胃瘻などで人工的に栄養を補給すると「自然死」ではなくなり、航空機が飛行場の上空で旋回しているよ

うなものである。

 

Dr.平野の医学コラム第3号

09.06.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

元氣を心掛ける老人が元氣である

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65歳以上の高齢者の身体機能や健康レベルは、10~20年前より上がっているとする研究結果が日本老年学会で報

告された。同学会は「現在の高齢者は10~20年前に比べて5~10歳は若返っていると想定される」とする声明を発

表した。65-79歳の高齢者では、脳血管疾患や虚血性心疾患など多くの慢性疾患の受療率が減少し、要介護認定率

や死亡率も同様に低下している。さらに65歳以上の高齢者の歩く速度が(歩行速度は身体能力を示す指標とされ

る)、10年間で11歳相当も若返っている。薄暗い早朝に散歩する年寄りも、田圃でトラクターを操作し田植えする

高齢者も、フィットネスジムで筋肉トレーニングに励んでいる老人も、みんな若くて元氣そうである。でも70代

80代のお年寄りが元氣なのである。我われ団塊世代(60代)の高齢者、つまり学校給食を無理やり食べさせら

れてきた世代とは違う話のようにも思える。70代80代の老人は戦争体験者である。飲まず食わず、ひもじさや

寒さに耐えて生きてきた頑強な人たちである。和食中心のヘルシーな粗食を食べてきた。それに比べ、団塊世代は

学校給食で化学合成添加物満載の洋食を食べさせられた。ご飯をパンに替え、味噌汁を牛乳に替えさせられた。で

も戸外で元氣よく遊び身体を鍛えてきたから、今の若者よりは元氣ではある。と同時に健康法が巷に流行っていた

から、病院、医者、薬に頼らないで健康は自分で守るという意識が発達した。高齢者と言っても随分と個人差があ

る。“元氣を心掛ける人が元氣”であって、老人の身は自分で守らなければならないのである。

Dr.平野の医学コラム第2号

24.05.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

楽しく仕事をやる為には 

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勤務する養護老人ホーム(特養)での話。もう半年で100歳になるお婆ちゃんが入所している。

んだん口から食物や水分が摂取しづらくなってきた。介護士さんは2時間もかけて、必死の思い

で食事介助に当たっている。前回の回診のときに、ロビーにいたその介護士さんが訴えてきた。

「何とか食べられるようにして、100歳まで生かしてください」と。彼女の目つきは真剣そのも

のであった。特養では通常は施行しない点滴注射、その3日間の指示をだした。脱水も重なってい

たのかその直後から元気を取り戻し、介護人の差し出す食事に口を大きく開けて含み、噛んで、の

み込むようになった。本日回診の際に、その介護士さんが部屋に入ってきて言った。「先生ありが

とうございました。私もとっても“嬉しい”です。このような入所者さんの姿をみると、介護の仕事

が“楽しく”なります」と。私も介護士さんのこの言葉を聞いて“嬉しく”なり、老人施設で働くこと

の「楽しみ」を覚えた。喜びや快い気持ちをあらわす表現に、「嬉しい」や「楽しい」がある。こ

の二つの表現には違いがあると思う。例えば、久しぶりに友達に会えたら「嬉しい」ですし、その

友達と懐かしい話に花が咲いたら「楽しい」時間になる。「嬉しい」はその出来事に対しての直接

的な反応で、その出来事が起こった瞬間に感じる気持ち。一方、「楽しい」はその出来事を通して、

継続的に感じる気持ちを表している。友達と会えたその瞬間に「うれしい」と感じ、一緒に時間を

ごしたことによって「楽しい」という気持ちが湧いてくるのである。また「嬉しい」はその人自

身において感じるもので、個人的な感情である。「楽しい」はその時間を過ごした人が複数いれば、

その気持ちを共有することもできる。「嬉しい」の語源は【心笑みし(うらえみし)】という説が

る。「心」は体の内側、表ではなく”うら”にあるので、古くは「心」を“うら”と呼んでいた。

“心が笑う”ことを『心笑みし』と言って「うれしい」になった。また、「楽しい」は【手伸し(た

のし)】が由来ではないか。古代から人々は喜びを舞いや踊りで表現してきました。「楽しむ」と

いうのも【手伸舞(たのしまふ)】で、手を伸ばして喜び舞うことが、「楽しい」「楽しむ」に通

じたようである。自分の心が笑うと「うれしい」気持ちになり、皆で一緒に手を伸ばして喜べば

「楽しい」気持ちになる、ということだと思う。勤務する病院の職員研修会で『楽しく仕事をやる

ためにはー”生業“と”仕事“と”趣味“』の公演を依頼された。特養でのこのエピソードを話題提供し

うと思った。お金になる“生業” の中にお金にならない“仕事”を見つけ出す術を話そうと思って

いる。

 

新任医師のご紹介

11.05.16 / 医学コラム / Author: / Comments: (0)

平野DR平成28年5月1日より当院で勤務しています院長補佐の平野  宏先生です。平野先生よりエッセイをいただきましたので、ご紹介かたがた以下に掲載させていただきます。尚、以降もコラムとして随時掲載していきます。  

 

 

 

           『現在・過去・未来』

「現在」は刻々と「過去」に移り去り、「未来」は次から次と「現在」になり、そして「過去」になってしまう。当然、人は「現在」にだけ生きているのであり、“これまで生きてきたように今を生きている”のである。こんな当たり前のことを真剣に考えている。老人施設のデイケアーで、通所リハビリに通う利用者の“リハビリ会議”に参加している。利用者とその家族、理学療法士、ケアマネージャー、介護士、介護福祉器具業者、それに医師が加わって、一人30分ずつ一日7-8人ほどの利用者で実施される。在宅暮らしの利用者は高齢であり、半数以上が「認知症」と診断されている。会議では医者として意見を求められるが、認知症の治療や生活支援は難しくいつも頭を抱えている。“窮鼠猫を噛む”の心境で、新たな認知症の“病態”を考えるに至った。、認知症は「現在」から「過去」にさかのぼって健忘し、年相応の物忘れは「現在」から「未来」のことを忘れてしまう。多くの認知症患者と介護家族の訴えを聞いていると、「過去」のことなど忘れても、「現在」を生きていけるのではないか・・と思うようになった。「過去は忘れて、これから頑張って生きていこう」という励ましの言葉もあるではないか。昔の思い出や“しがらみ”などなくても生きていける。認知症患者でも、年相応の健忘症も併せもつことに気がついた(当たり前のことではあるが・・)。実は、認知症患者で最も困ることは、「過去」ではなく「現在」「未来」の物忘れなのである。今日のことが上手く記憶されない。だから「過去」は生まれないし、「未来」が「現在」になれないのである。そこで会議で新しい認知症対策を提案してみた。『もう「過去」は忘れて「現在」を呼び戻そうではないか。脳だけで覚えられなければ、目/耳などを使って体で覚えて記憶しよう。そのためには毎日を同じスケジュールで繰り返しの時間を過ごす。そうすれば一日を実感でき、今日が生まれ「現在」が蘇るのではないか』。小手先の“脳トレ”などよりも、一日の暮らしをトレーニングするほうが有効だと考えたのである。認知症だけでなく年相応の物忘れ≫も、“習うよりも慣れろ”の“日常”リハビリが必要である。

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