Dr.平野の医学コラム第5号

02.09.16 / 医学コラム / Author:

『最も強い者や賢い者が生き残るのではなく、唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である』

 

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『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である』。チャールズ・ダーウイ ンの有名な進化論に基づいた格言である。これは健康寿命までの“余命”を何年と宣告された高齢者にも言い当てられる。ますます家に閉じこもって、社会や自然の中での“適応”範囲を狭めていかないようにしたいものである。自分で何かを変える努力をしないと、世の中や自然現象は変わってくれない。余命においても、人のせいとか世の中のせいにしていると健康寿命の先が辛くなる。融通の利かない頑固でキレル老人、気温の適応範囲を狭めて熱中症で病院に通う老人、車スピードの速さに適応できなく交通事故に遭遇する老人、・・・加齢と共に体も心も世の中の便利さや人とのつながりに適応できなくなる。ダーウインの『進化の先は行き止まり』をもじって、『便利さや贅沢の先は行き止まり』なる格言を提案したい。「適応の幅」を広くもつ必要性のことである。暑さと寒さ、晴れの日と雨の日、粗食と美食、自動車と自転車と歩行、新幹線と鈍行列車、テレビとラジオ、デパートと百均店・・。「上を向いたらきりがない、下を向いたらあとがない」生き方と、「上を向いたら行き止まり、下を向いても行き止まり」の生き方の違い。例えば“美食三昧”の場合はどうであろうか。大学病院の医師時代は、数多くの製薬会社の夜の接待を受けていた。連夜、岡山市内の一流料亭で懐石料理三昧の美食づけ。高価な料理も毎晩となると飽きてくる。揚げたての天ぷらや新鮮お造りの料理を前にして、「何か美味しいものが食べたいな・・」と考え込んだものである。もうこれ以上美味しい食べ物が無くなるほど切ないことはない。上も下も行き止まりの思いであった。そのような状況でたどり着いた行き先は、「今食べたいものを、今自分で作って食べる」ことであった。これこそが一番贅沢な美食だと思うようになった。それ以来、料理教室通いと閉店前のスーパーでの衝動買いが日課になった。そして今では、スーパーで買う198円の昼弁当も旨いし、もちろん孫たちにご馳走してやる焼肉屋の厚切塩タンも同じように美味しいのである。

 

 

 

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