演奏者の孤独

18.01.14 / 演奏者の孤独 / Author:

音楽部所属 M.T. でございます。 このコーナー、はじめて投稿します。 さて、どこから話しましょうか。 孤独な演奏者。 私の音楽人生 ですが。

 

私が小学校4年生にあがった時、全員部活動所属を必修とするとの通達がありました。 サッカー部しかありませんでした。 小学校4年生。 1978年かな。

インサイド・キック 知ってますか? 右足(効き足)を右に直角に(左軸足は真直ぐで)開いて内側のくるぶしより少し先の方でけるのです。 味方にパスするときはほぼ必ずサイドキックです。 インステップ・キック 知ってますか? シュートするとき足の甲をまっすぐのばして、甲でボールを直撃する。 ハーフ って知ってますか? mid fielder とも言いますが、バックでもフォワードでもない真ん中へんにいてボールを受け渡すポジションのプレーヤーのことです。 こんなことを覚えながら授業後は暑い日も寒い日も、毎日が過ぎていきました。 部活の後は、明るい日はサッカーテニス(地面に田んぼの田を書いて、一人あたり正方形約2平方面積で4エリア正方形、1~4の順位制、ピンポン形式するサッカー)を毎日しました。 それも今では考えられない、近くのどこでも公園に行って日が暮れる寸前まで ほんとうに楽しく おおはしゃぎ。 これほど面白いゲームってこの世の中にあったでしょうか。 今でもあの時の楽しさは忘れません。 私のほか3人ボールけれる(パントキックできる)人がいたら今すぐやりたい。 駐車場で。 たぶんふつうならぼくにかなう人はいない。 かな?

その頃は、沢田研二 勝手にしやがれ がレコード大賞で、麦わら帽子。 その後は、ゴダイゴのガンダーラ、モンキーマジック、銀河鉄道999、と英語の歌詞にあこがれて、意味も知らずにカタカナをふって覚えて歌っていました。 兄もぼくも弟も。 (兄だけは意味を知っていたか?)

私が中学校に入るとまた、全員部活動所属必修の通達でした。 かねてよりサッカー好きの私は当然サッカー部希望でした。 しかし、中学校は、近くの3つの小学校の集合体のためサッカー少年ばっかりたくさんおり、サッカー部希望人員オーバーということで選抜試験が行われました。 そして私はサッカー部に所属できず、吹奏楽部の柴田先生という女性教師に入部を勧められたのでした。

吹奏楽部は女の子ばっか。 95%以上女性。 中学1年生で私はその中に男子新入部員として入ってしまったのです。 なんか、覚えてるのは、最初、イーって してみろって柴田先生に言われて、お前はトロンボーンだって。 後で聞いたら、歯並びの状態をみて、合いそうなマウスピースの直径を考えてトランペットか、ホルンか、トロンボーンか、ユーホニウムか、チューバかを決めるんだって。 って、木管はどうしてるの?

そうして、全く楽譜など知らないのに私は4階音楽室でトロンボーン。 まどの外ではサッカー部の練習の掛け声。 もう、すでに暑くなった日々でした。

つづく

 

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